母になる、石の礫

今週のお題「最近おもしろかった本」

母になる、石の礫【つぶて】で (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
 

 ネタバレたくさんあり。

 久しぶりに導入から読みづらくて、初めて早川の水色の背表紙の文庫を手にとった高校生の頃を思い出した。翻訳ものの、とにかく単語や表現に優しさがまったくなくて突き放した、それがクールだったあのカンジ。この本の導入はそれを思い出した。

 タイトルを初め、初っ端から連発される「母」という単語。これが3Dプリンタというか超高度な小型(〜大型)自動工場を指すということはわかってくる。けれどもそれを運用する登場人物たちは地球文明から隔絶されて発生した者達であるようなので、いったいなんのつもりでその言葉を発しているのかわからなくなる。前提も常識も違う世界で物語は始まったんだと強く印象付けられる第一章だった。

 それがより強烈に表現されるのが、登場人物の一人である「虹」が地球の文明について思いを馳せるくだり。アステロイドベルトには脳だけになった始祖達、それから「母」を使って「出力」された自分たち第二世代、その後の新世代。そして仮想空間上に再現された人間であるAI。虹達にはそれが世界を構成する知性生物の全てだった。そのため人間とはそもそもどんなものなのかという地球人類の常識が無い。常に重力がある環境で育つ事の実感もまるで無い。仮想空間に表現される人間のモデルに対してですら、人間がなぜこういった形、考え方であるかを考えながら接しないといけない。その中で「虹」が人間を認識する際に、人間の女性は人間だけを出力する限定された機能を持つ「母」であるという見方をする。これは自動工場を「母」と呼んだ者達がこの2015年でも通じる「母」というものに逆説的に辿り着いた瞬間だった。これは心が震える。

 表題にもなっている通り、3Dプリンタというか自動工場である「母」がかなりのウェイトを持つこのお話。自動工場は目的のものを直接出力する。そこに進化や変化といった過程は無い。設計と出力結果があるだけだ。アステロイドベルト(もしくは地球でも)ではそれが常識であって全ては「母」から始まるわけだが、登場人物達はこの形にも疑問を持ち、よりゆるやかな変化を持てないかと考える。試行錯誤と経験の末に生物的なものに回帰するようなこのエピソードが、とても苦しくて面白い。でも設計を工面して出力結果を変えていくというサイクルも、これもスケールが違うだけで生物的なんだなと考えると、こうスパイラル的だけど脈々と進化・変化を継続しているように思えてくる。

 そして最後にしっくりというか納得できて腑に落ちたのが、一冊かけて語られたこの話が特別なことではなかったことだった。この本は要するに地球からドロップアウトしたイノベータ・はみ出し者が流浪の果ての地で希望にしがみついて悪あがきをした話だ。最後に登場するコミュニティからの情報よると、同時代に地球から脱出したグループは数多く、虹たちのグループもその一つだと言う。こういった事例が数多くあったのだ。そう語られると俄然、世界のリアリティが増してくる。自動工場が席巻する地球を見限って、希望を持ち絶望的な旅に出発する、自称先進者達。皮肉にもそれを可能にした「母」。

なんかこう、想像できる。